vol.196


 富士山に初めて登った女性はチョンマゲをしていた!
 世界文化遺産に登録された「富士山」は標高3776メートル、
静岡県と山梨県に跨る日本最高峰の山です。
ちなみに、世界では474位程度の高さで、世界的に見ればあまり高くはありませんが、日本人としてはやはり一度は登ってみたいと思う山ですね。今でこそ老若男女問わず登山を楽しめることができる富士山ですが、昔は富士山に登ることが許されない人々がいました。それは女性です。
平安時代より、富士山は「霊山」として山岳信仰の対象になっており、長く「不浄」と考えられてきた女性には登山が許されなかったのです。女性からすると、「まったく失礼しちゃうわ」という話でお怒りの声も聞こえてきそうですが、これはなにも富士山に限ったことではありません、相撲の土俵なども「女人禁制」だったり、信仰上の理由でしかたがありませんでした。そのため、江戸時代の女性たちは吉田口登山道の2合目にあった御室浅間神社までしか登れず、神社東南1キロ上に設けられた「女人天拝所」から、その雄大な景色を眺めていたそうです。
 しかし、いつの時代も女性はたくましく、そんなルールなど関係ないわとばかりに富士山に登ってしまった女性がいます。彼女の名前は「高山たつ」当時25歳で尾張家の奥女中などを勤めた才色兼備の女性だったようです。彼女は、1832年に男女平等を説いていた小谷三志という男性たちの協力を得て、マゲを結って男装し、こっそりと山に入り、富士講行者に紛れ込んで見事頂上にまで辿り着いたそうです。これが記録に残る女性初の登頂でした。その後、明治5年には女人禁制解除で、女性たちも登ることができるようになったそうです。富士山は男装してまで登りたいと思うぐらい、人をひきつけてやまない魅力のある山です。
世界文化遺産に登録され、日本の宝としてみんなで大切に守っていきたいですね。
小口 祐里


 とうもろこしの粒の総数は必ず偶数!?
 暑い夏の間、旬ということもあってか、とうもろこしを食べる機会が多く、ふと食べている最中に疑問に思うことがありました。いったい何粒あるのか、ですが1粒ずつ並べて数えるには時間も手間もかかり、あげく精神的にやられてしまうのではないかと、心配事が溢れ出てきたので諦めました。
昔、聞いた話によると粒の総数は大きさによってまちまちでも、どのとうもろこしにでも共通する法則があり、それは粒の総数は必ず偶数になるそうです。大きかろうが小さかろうが、それがとうもろこしである限り、この法則に例外はみられないそうです。
とうもろこしの粒数が必ず偶数になる理由は、とうもろこしの成長過程にあるそうです。
私たちが食べているとうもろこしはメス穂と呼ばれるものが成長したもので、メス穂は成長過程で粒がどんどん2つに分裂していきます。基本が偶数の2なので奇数をかけても答えは偶数。これがとうもろこしの粒の総数が必ず偶数である理由だそうです。本当に偶数かどうか確認するにはとうもろこしを輪切りにしてその断面の部分の粒をひとつおきに食べてみるとわかるそうなので、どうしても気になる方は来年の夏に一度お試しを。(この記事を書き上げた後、弊社社長から一度自分で数えて下さいとの指令があり、地道に数えた所、688粒ありました。)
山本 拓也


 カミナリ
 雷が車に落ちても、車の中にいる人は大丈夫とよく言われます。しかし、「本当に大丈夫なのだろうか」と雷がひどい日に外回りをしていた時に疑問に思ったので、そのことについて調べてみました。
すると、やはりそれはほぼ間違いないと言えるそうです。金属製の箱に電流を流すと、電流は箱の表面に沿って流れていき、箱の中の空洞部分へは流れていきません。従いまして、車に落雷があっても、雷は車体の表面から地面へと流れていくだけで、中の人に放電する可能性はゼロとは言えませんが、まずないだろうと言われています。しかし、車体の内側の金属部分に触れていると感電する可能性はあるそうです。そのため、車に乗っているときに雷が発生した場合は、ドアなどには触れない方が安全です。
 あと、「金属製のモノを身に付けていると雷が落ちやすい」という話がありますが、これは間違いです。導体(電気を通しやすい物体)を静電界の中に置くと、電気抵抗の違いにあまり関係なく関係なく電気力線の形は同じです。要は、雷にとって、人間が身に付けているモノの違いなど関係ないということだそうです。
 ただ、傘をさしていると、雷が落ちやすいのは確かで、落雷を避けるためには、傘をささない方が良いのですが、傘をさしていないから安全という訳ではないようです。やはり雷が鳴ったときは建物や車などに非難するのが一番です。
松岡 裕介

 夏の音色
 暑い夏の「涼しい音」と聞いたとき、心地よく鳴り響く風鈴の音色をイメージします。
風鈴の音色には、リラックスしている時の脳波を誘発し、私たちを安らぎへと導いてくれています。
その為か音色を耳にすると心が癒されます。
 風鈴の起源は中国で、風の向きや音の鳴り方で吉凶を占う道具でした。
日本には仏教の伝来とともに日本に伝わり、厄除けとして使われており、ガラスの製造方法が安価になり、長崎のガラス職人が見せ物とし大阪、京都、江戸を興行しながら伝わっていきました。
当時ガラスは大変貴重で、現在の金額で200万〜300万円もしたとか。その後およそ100年の時を経て、広く世の中に出るようになりました。

 風鈴は日本人の“風をも愛でる”感性を表す文化のひとつ。
1つ1つ職人が作り上げる風鈴・そして涼しげな音色。
大切に受け継いでいきたいものだと思います。
まだ残暑が続く季節、風鈴の音色に耳を傾けて日本の風流を味わってみてはいかがでしょうか。

平山 由希子