vol.156


旧大津公会堂に飲食店四店舗オープン

 大津のオフィス街、浜大津にレトロなイメージの建物(旧大津公会堂)があるのを御存知でしょうか?
聞くところによると、ドラマのロケなどにも使われた建物だそうです。
 旧大津公会堂は昭和9年大津商工会議所の建物として建築され、
公民館、社会教育会館や打出中学の臨時校舎等にも使われました。

名称は変われども大津のランドマーク的建築物で昔から広く市民に親しまれていました。この度、耐震工事などを行い、大津のまちづくりの拠点としてリニューアル!地下と一階に新しく4軒の飲食店が4月下旬にオープンします。
 最近の浜大津周辺といえば、経済ショックの理由もあるでしょうが、人通りが減り、飲食店も減っています。飲食店等にダスキンを配達していても、良いお話を聞くことがめっきり減りました。
 日曜日を定休日にしているお店も多く、家族で食事に行く場所ではなくなった感じがし、夜の街も減少の一歩をたどっているように見受けられます。
 私自身オーナーの方といろいろお話させて頂いている中で、昨今の大不況の中でありながらも大津市浜大津を活性化させて人の集まる街にして行きたい!一丸となって不況を乗り切ろう!という気持ちをとても強く感じ、共感させていただきました。
 近年ターゲットを絞った店舗展開でまちづくりの大きく貢献している事例が見受けられます。大津の中心市街地にこのような店舗が出来ることにより、人の波が復活し大津の活性化がはかれる気がし、起業された方々に敬服いたします。5月号のなぎさだよりにはお店の広告も載せさせていただきます。私達は一緒に協力させていただき、応援していける取引業者でありたいと感じています。

藤居 宗一郎


お花見
 今年も桜のシーズンがやってきました。みなさま、お花見の予定はいかがですか?
 今回のなぎさだよりは、この日本独自の文化“お花見”について説明させて頂きます。
この時期は桜、桃、菜の花やチューリップ、スミレ等が咲き誇り、見どころがいっぱいあります。
それなのに、花見といえば桜の花見をさすのはなぜでしょう? 花見の始まりとされるのは、花の咲き方で豊作を占っていた奈良時代の農耕行事と言われています(当時は梅の花が主流)。 平安時代からは、その時の天皇の時代の国花である「サクラ」の花見を行うようになったようです。

 花見は時代が進むにつれて、貴族から武家へと広まり、江戸時代には広く一般庶民の間でも盛んになり、お酒や弁当を楽しみながらという、現在のお花見の形式になりました。 当時のお花見は、わざわざ着物を新調する人がいるほどの贅沢をする行事だったようで、お酒を飲み、漆塗りの重箱に詰められた豪華絢爛な弁当に舌鼓を打ちながら、最後の締めに桜餅を食べるのが流行だったようです。 

春の風物詩としておなじみの“お花見”も、その歴史を探ってみると、今までとは違った楽しみ方ができるかもしれません。みなさまも、今年のお花見はその歴史と伝統に思いを馳せながら、ちょっと大人に桜を楽しんでみてはいかがでしょうか。
松岡 裕介

歩行者のルール
 デパートやショッピングモールで、前から来る人をよける時、私はどうしてもお見合いしてしまいます。私が左によけると、相手は右によけようとして「あ…あぁ…すいません」となってしまいます。
私は、そんなときは左によけるべきだと思いこんでいたのでジッと動かずに相手がよけるのを待っていましたが、実際は右によけるのが正解だったようです。
 どうして歩行者は右側通行で、自動車は左側通行なのでしょうか?いつ頃から そんな決まりになったのでしょう?
 江戸時代、武士は、右手で刀を抜くために、左側に刀を差していました。
 こうした体勢なので、いざという時に右側にいる相手には簡単に斬りかかれますが、左側にいる相手には一度刀を振る向きを変えないと、斬りかかれません。
こうした理由で、日本では歩行者が右側を通行するのがルールになったようです。しかし海外のほとんどの国が日本と逆なのは、ナポレオンが侵略して無理矢理左にしたから…らしいです。
 そして後発の自動車は、右側を通行している歩行者を避けたり、飛び出しに備えたりするために、確認しやすくて、都合がいい左側通行のルールと決まったようです。
ちなみに自転車は軽車両なので、自動車と同じルールに縛らるため左側通行になるようです。  これからは、このルールを守って前から人が来た時は右によけようとおもいます。今までぶつかった人達!すいませんでした。あなた達は大正解でした。
        
大村 朋子

滋賀県発祥のことわざ
 「急がば回れ」日頃よく口にする言葉ですね。この言葉の語源、何と地元の話からきているってご存じですか?
 室町後期の連歌師、宗長の歌にこういうのがあります。

「もののふ  やばせの舟は  速くとも
        急がば回れ  瀬田の唐橋」

どういう歌なのかというと…
 当時、京都へ向かうにあたり、矢橋から琵琶湖を横断する海路の方が、陸路(瀬田の唐橋経由)よりも近くて速いのですが、比叡山から吹き下ろされる突風により非常に危険な航路だったそうです。
 急ぐなら危険な航路よりも、少々遠くても安全な陸路の方が結果的に早くなり、そこから「急がば回れ」という言葉だけが世の中に出回りことわざになったそうです。

「急がば回れ」と、頭ではわかっていても近道を選んで失敗してしまう僕ですが、これを機に余裕をもった行動が出来るようになりたいものです。
 それにしても、全国レベルのことわざが地元の話がもとになっているなんて、
なんだか妙にうれしいですね。

山本 拓也